相場をする人は、何かと信心するものである。
苦しいときの神頼み。

しかし、ほとんどの人は信心の仕方を間違っている。

心配事が晴れたり、苦しい建玉がほどけると、すぐ一番にお願いした神様、仏様に御礼に行かなけれなならないはずを、銀座、赤坂、六本木。キタの新地か博多は中洲。

苦しい時だけ、お願いして、そのあと忘れていただろう。
礼儀を知らんやつだと、神様は不快に思っている。

昔から、さわらぬ神に祟りなしと言うのは、中途半端の身勝手な神信心をいましめたもの。